越後長岡 よもぎひら温泉 和泉屋

よもぎひらの日々の出来事 和泉屋のブログ

2013年02月12日(火)

イカピー&タナの上洛日記⑦

おはようございます。いかピーでございます。

今回もまだ京都の話なのですが、1か月もやってまだ半分程度という速度と、返す返す感じている「旅館ブログでよそに旅行言ってきた話ってどうなんだろう」という疑問から、このまま続けるべきか葛藤しております。

そこで、こちらをご覧のお客様(ありがたいことに結構いらっしゃるんですよね^^)から、この日記を続行してよいか、元の「五十嵐が浅い知識から精一杯に雑学薀蓄を語る」スタイルに戻すべきか、ご意見いただければと思います。

このブログコメントでも、直接のご来館時でも結構です。
ご意見がどちらもゼロの場合も、とりあえず冗長ながらこの日記を続けようと思います。
では本編に。

寝坊して平謝りの五十嵐と苦笑いの棚村で始まった京都2日目。
市バスの乗り放題券というのを買って、昨日目星をつけていた新撰組の地「壬生」へ。
P1000100.JPG 壬生寺にて。

続いてもタナちゃんのリクエストで酒の神様を祀っているという「松尾大社」を参拝しました。
タナちゃん希望のこの2つに関してはきっと彼のブログで語られることでしょう。

続いては京都旅行の定番中の鉄板「金閣寺」
五十嵐が中学校の修学旅行で訪れたのが・・・・・おおよそ15年前ですか。早いものです(=ω=)
幸い天候にも恵まれ、池に写り込んだ見事な画が見られました。
P1000101.JPG
五十嵐は南北朝時代や室町の歴史もさほど詳しいわけではないのですが、
織田信長しかり豊臣秀吉しかり、時の天下人の権勢を比較する物差しにこの金閣寺を建てた足利義満将軍は引き合いに出されます。
建物全部を金にしようって発想がまずすごいですよね。

続いて尋ねましたるは「二条城」
往時の城の石垣や城内の様子が見られる貴重な場所でした。
静かに歩くほどに「ぴぃー」という鳥の鳴き声のような音のする「ウグイス張り」の廊下というのが面白かったですね。
まぁ五十嵐はどんなに静かに歩こうとしても目方の問題できれいな音がでなかったのですが・・(´・ω・`)
さらにこちらでは狩野派の絵画や小堀遠州のデザインした庭など、歴史に名を遺した人たちの芸術に出会えたのも感動でした。
P1000103.JPG小堀遠州の作庭

2013年02月08日(金)

イカピー&タナの上洛日記⑥

おはようございます。
今日の蓬平は1メートル先が見えないほどの暴風雪でございます。

雪の降らない所はよかったなぁ。と半月前を懐古する京都日記まいります。

京都2日目。
午後に到着した初日、昼過ぎには帰路につかねばならない最終日と違い、1日中観光にあてられる日です。
最も大切なメインの日。一刻たりとも無駄にはできません!




寝坊したーーーー!!!!!!
ここで苦しいながら言い訳を。
普段の和泉屋の勤務が夜勤な五十嵐は昼夜の感覚がしばしば麻痺して、日中ボーッとしたり、深夜にげんきになったりします。
この旅の初日も電車やお風呂で寝てしまって、深夜ベッドでなかなか寝付けなかったのですが・・・・
これはやってしまった (;゚Д゚)!!
大丈夫だ、落ち着け、タナちゃんと決めた集合時間まで・・・(計算中)・・・
よし、朝食に10分はとれる!
五十嵐は前日ホテルに併設されたカフェのモーニングビュッフェを申し込んでいたのでした。
これをいただかない五十嵐ではありません。

焦りつつカフェの方へ。
並んだメニューは、パンが数種類、スクランブルエッグ、ウインナー、オニオンスープ、カレーライス、ナポリタンスパゲティ。
ホテルビュッフェ.jpg
とはいえ、パスタやカレーなどは申し訳程度で、完全にパンメイン。
まぁカフェだから当たり前なんでしょうが。
米どころ新潟の米農家に生まれた五十嵐は「食事と言えば米!パンはどれだけ食べてもオヤツ」という偏った感覚を持っています。
とりあえずカレーやパスタなどをいただいてみますが・・・
イマイチ(´・ω・`)
パスタは五十嵐が日常自炊で食べてるレトルト物に近い、カレーライスはやっぱり米に見劣りを感じます。
まぁこんなものかなぁ。さっさと食べて旅の支度をしないといけないし・・・・
とデザートのつもりで並んだパン類から「アップルパイ」をいただいてみました。
これは・・・・ウマイ!(・∀・)
表面がサクッとしていて中は果汁を感じるようなリンゴの食感。しかも甘さが程よい。
続いてクロワッサン生地にチョコレートが入った「パン・オ・ショコラ」をいただいてみます。
これもウマイ。
これも見た目ほど甘くなく、目覚めに優しい味と食感です。
また最初は物足りないなぁと思っていたスープもパンの甘さと合わせると程よい塩加減になるんです。
「朝食は米!」という偏見を少しは改めないとなぁ・・・・と思った朝でした。
ではお次は「くるみパン」をいただ・・・
「おはよう五十嵐君、今朝ごはん?」
声をかけられ振り向くと、いつものように柔和な笑顔をうかべた『旅支度の』タナちゃん。。。
のんびりご飯食べてる場合じゃなかったーーーーー!!!!
改めて時計を見れば、当初の予定の10分はとうに過ぎています。
「ごめんなさい!寝坊しました!しかも朝飯が止まらなくなってました!急いで食べて支度してきます!」
こんなダタバタで京都2日目は幕を開けました。

2013年02月05日(火)

イカピー&タナの上洛日記⑤

おはようございます。
今日も引き続き旅行日記をお届けします。

その前に、久々にコメントを頂戴しましたのでお返事を。
手田さん>
お寺の宗派の訂正ありがとうございます。
こんないきあたりばったりの旅が続きますが、どうぞ今後もおつきあいくださいませ。

初日の観光行程を終えて、京都で最初の食事です。
この日の夕食はインターネットのグルメサイトで調べた「京都駅近辺で評判の串カツ屋さん」です。
五十嵐が知る限り、地元長岡市に串カツ屋さんというのはありません。
人生初串カツです!
店員のお姉さんが
「ソースの二度づけは厳禁でおねがいしますぅ」(京都なまりがいいですね)
と、ソースと山盛りのキャベツを置いていってくれました。
タナちゃんが教えてくれたところによれば
「串1本につき、ソースにつけていいのは1度だけ。もしつけ損なったりしたらキャベツですくってかればいいんだよ」とのこと。
ふむ。勉強になる。

とりあえず「おまかせセット(ワンドリンク付き」)を注文。
いただきます!
うまい!
肉・野菜・魚、どれも揚げたてのカツになると、煮たり焼いたりするのと違った食感や味わいを見せてくれるんですね。
とくに印象深かったのは、鱧・子持ちシシャモ・チョリソー。美味しかったです。
これはお酒も進みます(笑)
普段は酒量の少ない五十嵐もいい気分で「チューハイおかわり!」

(注 諸事情により五十嵐が揚げ物を貪り喰らう様を記録した写真はお見せできません。
代わりにノンベエが地酒を堪能する様子をお届けします)
P1000097.JPG

五十嵐さらに酔った勢いも手伝って「メニュー表のこのページのメニュー全部ください!」
一度言ってみたかったんですよねコレ(笑)
大満足の京都1食目でした

2013年02月03日(日)

イカピー&タナの上洛日記④

おはようございます。
今日も今日とて旅行日記です。

さて、京都到着初日も夕刻となりまだまだまわり足りないところですが、拝観時間の終了が近づいてきました。
ということで本日の最終目的地は「本願寺」です。
浄土宗の本拠地で開祖の親鸞(しんらん)は越後に幽閉されたご縁もある場所です。
「いざ、進めば極楽浄土!退けば地獄!」
(旅のハイテンションでおかしなことを口走っています。ちなみにコレは戦国時代の本願寺僧兵が一揆衆を奮い立たせるために言ってた教えだとか)

いざ、東本願寺へ!
東本願寺.jpg
・・・・
閉まってましたΣ(゚д゚lll)ガーン
どうやら東本願寺は改装中?の模様。

ならば西本願寺へ!
西本願寺.jpg
・・・・
参拝受付の終了時間になってしまいました(´・ω・`)
せっかく来たんだし建物の外観や雰囲気だけでも味わっておこうと散策していると、
旅の相方タナちゃん「この西本願寺って、新撰組が頓所として使ってたところなんだよね!」
と彼もまたいつになくハイテンション。
「新撰組の関連の場所とかちょっと教えてもらってくる」と1人で受付事務所に駆け出していきました。
タナちゃんとは結構長い付き合いながら、シラフでこんなにテンション高いタナちゃんは初めてかもしれない( ゚∀゚)
(注 タナちゃんはアルコールが入ると饒舌になります)

西本願寺事務所で情報収集を終え、満足げな顔で戻ってきたタナちゃん。
「壬生っていうところに新撰組の頓所跡と関連の神社があるんだって!」
と珍しく興奮気味です。
いつも私が「どこいく?なに食べる?」と聞いても「五十嵐君に任せるよ」
とほんわかスマイルで返す彼がいつにないハイテンション。
京都の魔力恐るべし!
翌日の朝一番の行先に「壬生」が追加されました。

2013年02月01日(金)

イカピー&タナの上洛日記③

おはようございます。
本日も京都旅行の模様をダラダラ綴らせていただきます。

三十三間堂の次に向かったのは養源院というところ。
P1000095.JPG
豊臣秀吉の奥さんのひとりである淀君(茶々)が父親の浅井長政を弔うために建てたお寺なんだそうです。
その姫様が父親のために建てた寺院や美術品の見事さもさることながら、こちらの目玉は「血天井」というもの。
なんだかホラーな響きですが、謂れはこうです。

1600年の関ヶ原の戦いの前哨戦ともいうべき戦いに、
徳川家康による我らが上杉軍にたいするいいがかり戦争「会津征伐」というものがあります。
徳川軍が会津にむかって軍を進める時に、京の伏見城の留守番役に任命されたのが「鳥居元忠(とりいもとただ」という武将でした。
この留守番役は、徳川家康が敵対していた石田光成にあえてスキを見せて、この伏見を攻めさせ戦争の口実をつくるのが目的の、いってみれば「犠牲」でした。

それを家康が若いことからずっと仕えてきた老将の鳥居さんが快く引き受けたのです。
果して、徳川家康の読み通りに石田光成は伏見城を攻め、鳥居元忠は激戦の果てに自刃したのです。
その後、関ケ原の戦いで勝利した徳川家康は死んだ鳥居元忠への感謝を込めて、彼とその部下が自刃し血に染まった床板を大切に保管し、今現在はこのお寺・養源院の天井になっているというわけです。
(注 五十嵐の偏見と独自解釈が含まれています)
養源院.jpg
さすがに真っ赤に染まった板ではありませんが、血の染み跡を担当の方が説明しながら往時を思わせてくださいました。
こういう戦国時代のお話に触れられると、五十嵐のテンション急上昇↑です

つづく