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よもぎひらの日々の出来事 和泉屋のブログ

今日のイカペディア|2012年03月06日(火)

いからし! ④

おはようございます。
本日おいでいただいたお客様に「イカピーのブログいつも見てるよ」と言われ上機嫌のイカピーでございます。

「どんだけ自分の苗字ネタひっぱるんだ」と部長からもツッコミの入ったこのお題も今回が最終回です。

西暦0年の頃から新潟県は三条地域を中心に権勢を誇ってきた五十嵐一族でした。
しかし戦国時代に上杉謙信の父親にあたる長尾為景(ながおためかげ)という武将が登場し新潟の各地を征服していきます。
五十嵐一族も長尾さんに抵抗しますが敗北し、長尾家さらに上杉謙信の配下となりました。
それでも上杉謙信の時代にはまだ配下とはいえある程度の地位はあったそうですが、謙信公が亡くなってからがさらに問題。
上杉謙信の跡継ぎを巡って上杉景勝と上杉景虎が「御館の乱」という戦争をおこします。

当時の越後の有力一族に長尾為景や上杉謙信の出自でもある長尾一族がいました。
しかしその一族は地域ごとに遠縁の一族同士で仲が悪く
現在の下越地域を中心にした「三条長尾」
現在の長岡市近辺で権勢を誇った「古志長尾」
上杉景勝の出身でもある魚沼を支配していた「上田長尾」
という三つの長尾一族がそれぞれ諍いをしていました。
我らが五十嵐一族は「古志長尾」の配下だったそうです。
その古志長尾一族が「御館の乱」で上杉景虎サイド、負けた側についたため一族は没落しました。
それ以来は五十嵐一族も大半が帰農し、一般人として近代まで至っているそうです。

以上、五十嵐の歴史というかまぁフィクション色の強い昔話だったわけですが、調べてもわからない一族の謎が1つあるのです。
それは読み方。
私のような新潟県在住の五十嵐さんの大半は「イカラシ」と読みます。
ところが県外の方はほぼ「イガラシ」と発音します。
私が和泉屋に勤めたばかりの頃ご予約を電話をいただいた際
「ありがとうございます。このご予約は私イカラシが承りました」
「え?お名前もう一回言ってくれる?」
「五・十・嵐と書いてイカラシでございます」
「あぁイガラシさんね。じゃぁ予約よろしく」
こんなやり取りが数回あり「新潟県意外の方にはイガラシという発音が一般的なのだ」と悟りました。
以降は予約電話の時に限り「ご予約はイガラシが承りました」と名乗る事にしています。

五十嵐姓が新潟発祥で他県に拡がっていったとして、その過程で読み方が変わっていった謎。
これが分る方いたら是非に教えていただきたい!

実は私も行ったことがないのですが三条市飯田に前回の話の石がめり込んだ杉の五十嵐神社という神社があり五十嵐の歴史の中心になっているそうです。私の祖父がそこを訪ねたときにはお土産に「五十嵐音頭」という曲の入ったカセットテープをくださったとか。ついに私は聞くことがありませんでしたが(^ω^;)
五十嵐神社.jpg
さらには一族の最盛期にその地域を支配していたと思われる館。その名もストレートに五十嵐館!その跡地も残っているそうです。
現在はその輪郭のみうかがえて、土地はゲートボール場として地域のおじいちゃんたちに愛用されているとのこと。素晴らしい。
五十嵐館.jpg
日本全国の五十嵐さんも機会があったらぜひ訪れてみてください。
あ、その際のお泊りはぜひ和泉屋に!これ言っとかないとw

ということで長くなりましたが、私の苗字のお話はここまで。
お付き合いいただきありがとうございましたm(_ _)m

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